世の中の基本的なことの再確認

浅学者が暇つぶしに恥をかくブログ

三日坊主阻止2

絶対に三日坊主を阻止する2018

 最近今更ながらユーモレスクにハマっている。ユーモレスクってクラシックのあれだ。ドヴォルザークの代表曲、第7曲。

 これ本当ちゃんとした趣味の人に申し訳ないんだけど、クラシック聴いてる理由って、一番無料で聴ける距離が近いとかいう信じられないほどくだらない理由なのです。パブリックドメイン、あれはいいものです。著作権大国アメリカ様々という感じです。

 当時なんか音楽聴きたいな〜〜と思いながらも、でもお金かけたくないな〜〜って考えてた高1?くらいの自分は、クラシックなら無料でダウンロードできる!!と革命的な事実を知りました。実際はその演奏者の、著作隣接権も加味されるので結局面倒なんですけどね。

 しかしまぁ、パブリックドメインのクラシックまとめてくれてるサイトや、電子音でクラシック名曲を作って無料でダウンロードさせてくれるサイトなどもありまして、これがなかなか充実しておりました。クラシック聴いて通ぶっている後ろでは、パブリックドメインやらで片っ端からぽちぽちダウンロードして無料で消費している訳であります。無料、しかも近い、これはありとあらゆる障害に何よりもまさる利点でした。

 だがまぁなんとも残念なことに、自分には毛ほども文化的感受性がありませんでした。そもそも当時クラシックなんて毛ほども興味なかったです。しかし、タダなんだから精神でとにかく片っぱしから聞き、無理矢理好きになっていきました。とりわけ僕が好きなのは、ピアノでした。管弦楽も悪くはないのですが、ピアノの音が綺麗で均整がとれていて、ピアノソナタとかばっかり聴いていました。なんだかよくわからないピアノソナタの〇〇番(未だに曲名を覚えられません)、〇短調、op64…などと。特に、激しい曲調だったり、一定のテンポが整っている曲が良かったです。例を挙げると僕がめちゃくちゃハマったモーツァルトピアノソナタ、8番、イ短調の特に一楽章です。多分ですが、僕は短調が大好きなのでしょう。

 これ見て少し嗜んでる人ならわかると思うんですが、僕はクラシック的知識が絶望的にありません。上述した即物的な理由で聴き始めたので、そらちゃんとした趣味にならんわなという感じです。典型的な中身の伴わない中学生時代によくいる通ぶるためにクラシック聴くやつになってしまった。

 そんな中で最近分かったことは、僕がクラシックをBGM的に聴いているということです。すっごい気に入ったクラシックを聴くとき、僕は必ずバックグラウンドを想定します。流れる曲がぴったりな情景を想像します。これ普通なんでしょうかね?小フーガハゲ短調を聴くとこのハゲーーー!!を想像するのと同じ感じで。

 でも情景ったって、例えばベートーヴェンが小銭を落として怒り狂っている姿や、恋破れて感情的に楽譜を書いているシーンを想像するわけじゃありません。さっきのモーツァルトのピアノなら、僕が想像するのは散歩です。大きな道を歩く散歩です。要するに、曲それ自体を対象とした想像ではなく、むしろ曲がそれを引き立てるような情景を想像してウハーってなるのです。偶然シンクロニシティ的にこれを書いている途中に、バッハやモーツァルトの話をゼミでしましたが、彼らの曲に耳を傾けていた大衆は、このような聴き方をしなかったと思います。曲自体が引き立て役に甘んじ、なお且つ情景を含めた全く別の新しい空想の世界を作り出して、曲が構成しつつ曲が主体でない世界が迫ってきてあーーもう尊い!!となる。あんまりよく考えてないから雑な表現だが、要するに僕はクラシック聴く時にこういう風に聴いているということを言っているだけです。以上!