世の中の基本的なことの再確認

浅学者が暇つぶしに恥をかくブログ

物語調の推測

 自分がなぜ歴史に興味を持ったのかを考察するのは意外と面白い。歴史学的に純化すると、この問いはなぜ今(歴史を学ぶ学生)に至ったのかというものになる。

 そしてこの問いは絶対に答えが成立することがない。なぜなら、今こうして推測している自分は結果を知っている今の自分であるからだ。今の自分は、かのビスマルクよろしく今の状況を基準に後からいくらでも自己の行動に理由をつけることができる。故にこの問いは、過去の自分が結論付けねばならないが、当時の自分は未来の事は知らない。彼は今に至る全体像を知らないので、結論づける事は絶対的にできない。

 いわゆる歴史の物語論的な考えでこの不可能性を意識すると、中々興味深い心地になる。しかし本文では、それを知りつつもあえて考えてみることにする。その方が面白いからだ。

 犯罪心理学は動機の考察を主観的なものと第三者が外面の行動や仕草やらで判断するもので分けているらしいが、ここから語られ考察される「動機」は全て後者のものだ。私は思い出しうる限りの当時の自分を考察する。

 朧げな記憶にある中で、僕が歴史と深く関わるようになったと思われる要因が二点ある。一つはゲームで、もう一つは日本史好きな友人だ。

 当時ゲーム好きだった自分は、従兄弟から貰った真・三國無双2をやっていた。これが中々、シリーズの中でも随一の名作で当時の自分も楽しんでやっており、その中でストーリーやキャラに興味を持って調べるようになった。その後にやった決戦2は同じく三国志の話で、よりストーリー調だったので、三国演義に興味を持たせる理由としては充分だった。恐らくその流れから図書館にあった三国史(演義)を読んだりするようになった。これが一番最初の歴史との出会いであった気がする。

 後者についてだが、僕が小中同じだった友人の中で、一人歴史好きな人がいた。若くして衒学趣味を持ち合わせていた彼から僕は色々な話を聞いていて、その中によく歴史があった。戦国時代や信長の野望の話や徳川15代将軍の暗記などを帰り道に聞いたりしていた。三国志や社会科程度しか歴史を知らなかった当時の自分が彼の話を聞きつづけ、歴史が面白いものだと思うようになった相乗効果が生じたのだろう。結果、活字などズッコケ三人組デルトラクエスト位しか読まなかった幼少期の自分が初めて真田幸村の本を手にとって読むという作用を及ぼした(当時幸村より昌幸とかの話が殆どだったことで拍子抜けした記憶がある)。

 他に考えうる社会科や親父の影響がないとは言えないが、あまり考慮しなくてもいいだろう。社会科は確かに好きだった記憶があるが、それは恐らく先の二点が作用しているだけであると思う。僕はそもそも公教育の殆どは興味がなかった。親父は確かに歴史を学べとうるさかったり、横山三国志を部分的に買ってきたりしたが、後者は三國無双の作用で読んでいたし、とにかく昔から反骨心が強かった自分を考慮すると、余り影響的だったとは思えない。

 故に歴史を好きになるきっかけは恐らくこの二点が要因だろう。

 

 ではそれがなぜ今にまで続いたのか。特に歴史が好きというアイデンティティを確立するインセンティブはどこにあったのだろうか。

 ここで重要と思われるのは当時の僕の歴史を捉えていた感覚だ。さて、全ての歴史は現代史であるという言葉が出るほどには私たちを支配している近現代という分野は、当然多くの人間を歴史に誘い込むキッカケとなっている。全てがそうとは言わない。だが中学時代、ヒトラーを尊敬しちゃったり虐殺いいぞ〜とか虐殺はNGとかになっちゃった人は必ずいるのではないだろうか。まずもって多くの人間が好きになり、興味を持つのはww2である。歴史をより深く理解することができるようになる中学時代に、大多数の男子の心を奪うのはww2である。経緯は様々だが、キッカケはww2ないしは大日本帝国ナチス第三帝国という人は少なからずいるのではないだろうか。現代史を教える先生も、そういう側面をよく意識した発言をする。なぜここに興味を持つかといえば、近・現代史が自分達に密接に関わっていて理解しやすく、なおかつそれは今なお身近に跡が残り今とつながる「過去」であり、さらに世界大戦というイベントに強烈なインパクトがあるからだろう。また、それ以外にも男は何故だかこうした戦いだとか機械だとかに惹かれるという性質も要因に考えられる。故に皆、はじめは自分が生きている今から過去へと下っていくのだ。

 ところがそうでない人も大勢いる。例えば中世が好きな人の話を聞いていると、ファンタジーや小説の話が多くある。なんら実証性のない主観的な傾向論だが、彼らが最初に持った歴史との関係性は、今との結びつきよりも、今よりずっと向こうの異郷を志向していたのだと思う。  僕は多分こちら側に近い感覚だったのだ。

 推測だが、僕は恐らく現実に若干嫌気がさしており、歴史に桃源郷を求めたのだろう。もちろん前者の志向性が無かったとは言えない。だが、この二つの志向性の間に自分を置くなら、間違いなく後者寄りであろう。

 僕が三国志や戦国時代、果ては近現代を知って感じる感覚は、新しい別の世界の人々の営みであった。これを証明するのは難しい。理論的というより感情的なものだからだ。だがあえて論理的に説明するならば、それは物語を読むこととなんら変わらない。「ワンピースやスラムダンク」を読むこととあまり変わらない、物語への志向だったと思われる。少なくとも、それへの想いを馳せる時はあまり今を意識していなかった、と思われる。思えばれそれは、ゲームの世界への没頭と似ていた。当時の僕がハマって結局クリアできなかったff12や10は、僕にとって現実を忘れさせてくれる異世界だったのだ。

 さて、では当時の僕が現世に嫌気がさしていたというのはどうなのだろうか。齢十数歳のはなたれ小僧の自分が果たしてそのような厭世観を持つであろうか。まず間違いなく言えるのは、小学生の頃にいわゆる厭世観なるものを常にまとっていたかというものであるが、それはない。一過性でこのような感情を抱く時は恐らく多々あった。だが一貫したペシミスティックな性質はむしろ間抜けな性質のお陰でそれほど強くはなかった。だが一つ印象に残っているのは、小学生だか中学生初期だかに現代社会を聞いていて、なんだか面倒な時代に生まれたなと思った記憶だ。僕がぼんやりとそれを聴きながら思ったことを、捻くれた聡い友人の一人が(歴史好きの彼ではない)そう呟いて、僕も嬉々として同意したことをありありと覚えている(これは珍しく一人称視点の記憶なので確信がある)。

 少なくとも当時の自分が現代にネガティブな感情を抱いていたことは事実だろう。インターネットは楽しかったが、同時に辟易させるような現代問題も見せつけてきた。親父は近現代に関心があるせいで、僕は絶えず現実を意識せざるを得なかった。小学生の頃、太陽に地球が飲み込まれてしまうということを知りそれを想像して身の毛もよだつ恐怖を覚えた記憶がある。

 特に中学に入っていわゆる「思春期」に至ると、誰しも安っぽいペシミストになりがちだろう。僕もそれは例外ではなかった。中学後半にやっと思春期がきた僕はしょうもないペシミストに陥り、それが元々持っていた先ほどのようなネガティブな感情と結びついたと思われる。

 そうした自分が拠り所として求めたものの一つが、歴史だったのだろう。

 勿論自分のくだらない天邪鬼っぷりも考慮しなくてはいけない。恐らく皆が近現代に興味を持つから、本能的に忌避したのだろう。天邪鬼が極まっている僕はミーハーなものを避けてマイナーなものに行っていた。これも思春期の影響だろうか。天邪鬼は覚えている限り小学生からずっとそうなのだが。

 まとめると、僕は歴史好きの友人と、ゲームを大きな要因として歴史の道を歩みだした。そこから今につながる要因は、当時の自分の現実逃避と天邪鬼である。この両者が歴史を学ぶインセンティブになり、最終的に西洋中近世史にたどり着いたのだろう。

 勿論本文で考察してない部分は多数ある。記憶を漁る限り、別の要因も考えられる。だがそれはここでは今後一切考察することはないだろう。こんなものを公開しておいてなんだが、自分の過去をつまびらかにする行為は好きじゃないからだ。従って本文は、ある一定の結果の為に、限定した過去をつまみ出して作るナラティブであると結論付けられる。