世の中の基本的なことの再確認

浅学者が暇つぶしに恥をかくブログ

皮肉の循環

僕も陳腐なニヒリスト、いやシニストなので、皮肉ばかりが楽しみになってしまっている。元々反骨心8割に純真さが2割の性質を持っていた私は、皮肉と相性がとても良いのだ。

 

 ところで皮肉屋というのは、皮肉そのものに対する皮肉を持っていなくてはいけない。皮肉屋の姿勢には、何者にも屈しない己というものが必要で、皮肉屋は皮肉の信奉者でもなければ教条屋でもないからだ。

 しかし、敵にすると分かるが皮肉はあまりに強力すぎる。弱者が持てる最後の武器であるだけはあり、その力は大きく隙がない。

 そうして強力な力を持って君臨する「皮肉」に対して最大の対抗ができる「皮肉」は、おそらく唯一つ、皮肉そのものの意味を解さずにそれを字義通りに受け取ることだ。すなわち、純真であれ。これぞまさに皮肉に対する最大の皮肉で、これをもってして皮肉は一巡する。なんとまぁ、皮肉なことだなぁと思っている。もし歴史の中に埋もれていった人で、己が思慮を以ってこれに気づいた人がいるのであれば、死後何年かかっても探し出して、一緒に酒でも飲みたいものだ。

 

 

※追記

この文章は、2017年?頃に作成した文章を、書くことがなさすぎるからそのまま転記したものである。