世の中の基本的なことの再確認

浅学者が暇つぶしに恥をかくブログ

宇和島多賀神社にある性器資料館

 今回、何気なく訪れた神社のインパクトにやられてしまったので、そのインパクトを忘れないうちに、筆を取ることにする。

 

 

 四国を旅行していた時、宇和島で電車を待つことになった。そこでタクシーの運ちゃんに何か良い神社がないかと聞いたところ、この通称凸凹神社(多賀神社)を教えてもらった。

 

一見して何もない神社である。

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風変わりな像があるだけで、こじんまりとした良いところだと思った。

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…ところが、800円の入館料を払って付随施設に入ると、そんなイメージは全て消え去ってしまった。

 

 

 

…そこには夥しい数の性器があったのである。

 

 

 

神社に性器!まずその異様さに僕は面食らってしまい、呆気にとられていた。

 

見渡す限り性器である。確かに、神学において性というのは非常に重要な意味を持つことは疑いないのだが…

 

 

 

 逐一見ていくと、男根、男根、男根に次ぐ男根である。某員達が言っていたような妄言が具現化した空間に僕はいた。

昔の民間信仰の中で作られた太い男根が飾られており、玉金様とお札が貼られているもの。

異様に男根が太く心臓あたりまで届いている恵比寿様のような像。金精神社とかかれたお社の中を覗くと、金色に輝く男根が祀られていた!

 

他にも、顔が女性器の伊邪那美と顔が男根の伊奘諾像(見事な事にキチンと顔として機能している!)、異常に大きく太い男根(自分の足くらいはあるのではないだろうか)、よく出た腹に女性器の付いた笑っている親父の像、飛ぶ男根、円光のある男根、等々…

 

それが全くふざけて作ったものではないのだと分かっていても、どうしても眼前に広がるそのインパクトに笑ってしまう。オタクの悪ふざけの妄言がそのまま具現化しているようなものだ。

 

 だが、特筆すべきはそれだけではない。そのあくなき学問的探究心である。小さな三階建てのフロアに対して異常なまでに集められた性に関する像や物体、壁どころか天井までに張り巡らされた文字や写真、そして一つ一つを細かく読んでいけば優に数時間はかかるだろう随所にある手書きで書かれた解説や考察の数々…単なる面白性文化物を集めただけなのではなく、民俗学の域に踏み込むほどの探究心と熱量が感じられる。なるほど撮影禁止なわけである。

 

また、入り口付近に張り巡らされている神主が直接撮って回った東南アジアやアフリカの土着民族のリアルな写真は、性というより文化人類学的な様相を呈しており、彼らの興味深い風俗を明らかにしている。

これらは神主のフィールドワークのまさしく成果と呼べるもので、地道な個人の努力が感じられる。神社にあった奇妙な石像はこうした調査の過程で収集したのだろう。

 

その集大成ともいえる、未発掘の遺跡から原住民が盗掘してきたのを買い付けたという性神像は、最早単なる男根像の域を超え美術的に貴重なものである。明らかに国立美術館の企画展で見るべきものだ。

アンコールワットにも同様のものがあるらしく、もしそれが事実だとしたら紛れもなく世界的な価値のあるということになる。

 

このように、小さな神社にある性器資料館は、単純な造形のインパクトで笑えるだけでなく、貴重な民俗学的資料としても見ることができる展示物の数々により、学問的な好奇心をそそられる充実した場所だった。

 

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撮影禁止(見つかった場合撮影料2万)というのが口惜しいところだが…出た後なら納得できる。
f:id:von_schwerin:20200920163211j:image(外に出るとトンビの声が聞こえる静謐な神社に変わる)

 

もしこれを見た人で四国に行くことがあれば、宇和島の多賀神社は一見の価値があると思う。

 

多賀神社:http://dekoboko.chu.jp/