世の中の基本的なことの再確認

浅学者が暇つぶしに恥をかくブログ

うんぬ

 両親と会話していると本当に思うのだが、情報の更新は大事だと思う。どうしてこんなにも情報にも時間が流れているという事を重要視しないのか分からない。父は20年前に見聞きした情報をアレコレと持ち出してくる。母も同様で、27年前、その人にとっての[当時]の話を持ち出して就職の話をしてくる。それがあっているか間違っているかはさておいて、20年って。

 20年っていかんでしょ。歴史とかやってる人は、なんだたった20年かと思うかもしれんが、20年は社会環境を劇的に変えるには十分すぎる時間だと思う。

 僕はよく、20年の重要性を表す際、ww1からww2までが20年位と言っている。より正確に言うなら、ヴァイマール条約締結の1919年からww2の啖呵が切られた1939年までが20年間である。この間はあまりに劇的な事件のシリーズが起こっている。当たり前だが、ww1が終わってはいそれじゃ戦争やめよ!からのよしまた戦争やるか!って感じで人々が戦争始めたわけがなく、この20年間が、戦争を起こさせるまでに世の中を流動させたことは疑いようのない事実である。マクロの視点で言えばたった20年かもしれないが、そこに生きている人間ミクロの視点で見れば、20年は軽視されていい数字ではない。ここでは20年を象徴的意味で使っているが、別に19年だったらいいとか15年だったらいいとか言ってるわけじゃない。時間の重要性は加味されるべきだといっているわけだ。

 

 これに関連して、今自分が生きている[現代]といわゆる[戦前]と呼ばれる古い時代、一体どこで変わったのだろうと考えていた時、若い時は文字通り戦前と戦後ですぐに変わったのだと思っていた。だから1950年代は自分にとって戦前ではなく戦後、つまり現代だった。感覚的に話しているから難しいが、要するに50年代の日本は、もうまったく戦前の古めかしい感じはない、新しい時代の一部なのだと思っていたということだ。だが最近色々知って、改めて考えると、今の僕たちが同質性を感じる社会(ビル群とか、電車に乗って出勤サラリーマン、インターネット、女子高生、核家族等々)は80年代以降に完全に形成されはじめたということが分かった(実際は高度経済成長期から[戦後]が形成されていったのだが)。グーグルで各年代毎に適当に画像検索をかけると、感覚的には昭和からインターネットが普及して平成へ移行した80年代頃からが自分の感じる社会との同質性を見出せる。それ以前は全部[昭和]だ。平成生まれの自分にとっては、現在と殆ど別なものである[昔]でしかない。

 とするとたった2、30年で、このとんでもない現代社会に至ったということになる。20、30年である。たった[20、30]年だ。およそ2、30年前には、[懐かしい]昭和の香りがそこら中にしていたのだ。きっと自分がそこに放り込まれたら、どうしようもない懐かしさを感じるが、ただそれだけである。中世ファンタジー(ほとんどは中世要素がないオリジナルの世界だが)に抱く憧憬と同じで、そこには懐かしさしかない。オトナ帝国のしんのすけは、昭和の香りを残し、今もなお昔に好意を持つドラえもんと対照的に、懐かしきものへの他者としてケツを出しとる。まさにこのしんのすけが、昭和に放り込まれた自分だと思う。

 

 話が大分脱線してしまった。まぁ要するに、たった数十年は、されど数十年ということが言いたい。数十年は環境をほとんど別のものにしてしまうには十分な時間だということを忘れて情報の更新を怠ってはいけないとおもったわけですまる

  でもまぁ気持ちはわからんでもない。IT革命以後と以前との違いが著しいことは客観的事実だと思うが、IT革命以後の世界は時間の爆発的加速を見せている。よりマクロな視点からは戦後から爆発的加速を始めているようにも思えるが、ここでいう時間の加速は情報に関してである。昔に比べて、情報と時間が密接に結びつき、凄まじい勢いで加速しているのだろうと思う。例えば、ネット上で10年前のサイトというと、古典として見られる。ウィキペディアの信用度はかなり高い!という海外の記事を引用していた記事に対する批判の一つで、元記事が12年前であるという指摘があった。しかし人によってはたった12年前の記事である。50代の人からしたら、もしかしたらたった12年前か、というかもしれない。知らないが。

 情報社会になってから、情報の寿命が信じられないほど加速した。それはそうだと思う。昔のように、自分の古臭い情報が役に立つ時代は終わってしまった。加速によってずっと遠くに置いていかれ、完全に役に立たないわけではないにせよ、もう殆ど時間の流れから独立してしまった古いだけのものとして捉えられるようになっている。現代人に属する自分でさえ、少し油断するとその加速から振り落とされがちになる。

そういう点では、情報更新が遅れるのも仕方ないのかもしれない。かなしい。