世の中の基本的なことの再確認

浅学者が暇つぶしに恥をかくブログ

物語調の推測

 自分がなぜ歴史に興味を持ったのかを考察するのは意外と面白い。歴史学的に純化すると、この問いはなぜ今(歴史を学ぶ学生)に至ったのかというものになる。

 そしてこの問いは絶対に答えが成立することがない。なぜなら、今こうして推測している自分は結果を知っている今の自分であるからだ。今の自分は、かのビスマルクよろしく今の状況を基準に後からいくらでも自己の行動に理由をつけることができる。故にこの問いは、過去の自分が結論付けねばならないが、当時の自分は未来の事は知らない。彼は今に至る全体像を知らないので、結論づける事は絶対的にできない。

 いわゆる歴史の物語論的な考えでこの不可能性を意識すると、中々興味深い心地になる。しかし本文では、それを知りつつもあえて考えてみることにする。その方が面白いからだ。

 犯罪心理学は動機の考察を主観的なものと第三者が外面の行動や仕草やらで判断するもので分けているらしいが、ここから語られ考察される「動機」は全て後者のものだ。私は思い出しうる限りの当時の自分を考察する。

 朧げな記憶にある中で、僕が歴史と深く関わるようになったと思われる要因が二点ある。一つはゲームで、もう一つは日本史好きな友人だ。

 当時ゲーム好きだった自分は、従兄弟から貰った真・三國無双2をやっていた。これが中々、シリーズの中でも随一の名作で当時の自分も楽しんでやっており、その中でストーリーやキャラに興味を持って調べるようになった。その後にやった決戦2は同じく三国志の話で、よりストーリー調だったので、三国演義に興味を持たせる理由としては充分だった。恐らくその流れから図書館にあった三国史(演義)を読んだりするようになった。これが一番最初の歴史との出会いであった気がする。

 後者についてだが、僕が小中同じだった友人の中で、一人歴史好きな人がいた。若くして衒学趣味を持ち合わせていた彼から僕は色々な話を聞いていて、その中によく歴史があった。戦国時代や信長の野望の話や徳川15代将軍の暗記などを帰り道に聞いたりしていた。三国志や社会科程度しか歴史を知らなかった当時の自分が彼の話を聞きつづけ、歴史が面白いものだと思うようになった相乗効果が生じたのだろう。結果、活字などズッコケ三人組デルトラクエスト位しか読まなかった幼少期の自分が初めて真田幸村の本を手にとって読むという作用を及ぼした(当時幸村より昌幸とかの話が殆どだったことで拍子抜けした記憶がある)。

 他に考えうる社会科や親父の影響がないとは言えないが、あまり考慮しなくてもいいだろう。社会科は確かに好きだった記憶があるが、それは恐らく先の二点が作用しているだけであると思う。僕はそもそも公教育の殆どは興味がなかった。親父は確かに歴史を学べとうるさかったり、横山三国志を部分的に買ってきたりしたが、後者は三國無双の作用で読んでいたし、とにかく昔から反骨心が強かった自分を考慮すると、余り影響的だったとは思えない。

 故に歴史を好きになるきっかけは恐らくこの二点が要因だろう。

 

 ではそれがなぜ今にまで続いたのか。特に歴史が好きというアイデンティティを確立するインセンティブはどこにあったのだろうか。

 ここで重要と思われるのは当時の僕の歴史を捉えていた感覚だ。さて、全ての歴史は現代史であるという言葉が出るほどには私たちを支配している近現代という分野は、当然多くの人間を歴史に誘い込むキッカケとなっている。全てがそうとは言わない。だが中学時代、ヒトラーを尊敬しちゃったり虐殺いいぞ〜とか虐殺はNGとかになっちゃった人は必ずいるのではないだろうか。まずもって多くの人間が好きになり、興味を持つのはww2である。歴史をより深く理解することができるようになる中学時代に、大多数の男子の心を奪うのはww2である。経緯は様々だが、キッカケはww2ないしは大日本帝国ナチス第三帝国という人は少なからずいるのではないだろうか。現代史を教える先生も、そういう側面をよく意識した発言をする。なぜここに興味を持つかといえば、近・現代史が自分達に密接に関わっていて理解しやすく、なおかつそれは今なお身近に跡が残り今とつながる「過去」であり、さらに世界大戦というイベントに強烈なインパクトがあるからだろう。また、それ以外にも男は何故だかこうした戦いだとか機械だとかに惹かれるという性質も要因に考えられる。故に皆、はじめは自分が生きている今から過去へと下っていくのだ。

 ところがそうでない人も大勢いる。例えば中世が好きな人の話を聞いていると、ファンタジーや小説の話が多くある。なんら実証性のない主観的な傾向論だが、彼らが最初に持った歴史との関係性は、今との結びつきよりも、今よりずっと向こうの異郷を志向していたのだと思う。  僕は多分こちら側に近い感覚だったのだ。

 推測だが、僕は恐らく現実に若干嫌気がさしており、歴史に桃源郷を求めたのだろう。もちろん前者の志向性が無かったとは言えない。だが、この二つの志向性の間に自分を置くなら、間違いなく後者寄りであろう。

 僕が三国志や戦国時代、果ては近現代を知って感じる感覚は、新しい別の世界の人々の営みであった。これを証明するのは難しい。理論的というより感情的なものだからだ。だがあえて論理的に説明するならば、それは物語を読むこととなんら変わらない。「ワンピースやスラムダンク」を読むこととあまり変わらない、物語への志向だったと思われる。少なくとも、それへの想いを馳せる時はあまり今を意識していなかった、と思われる。思えばれそれは、ゲームの世界への没頭と似ていた。当時の僕がハマって結局クリアできなかったff12や10は、僕にとって現実を忘れさせてくれる異世界だったのだ。

 さて、では当時の僕が現世に嫌気がさしていたというのはどうなのだろうか。齢十数歳のはなたれ小僧の自分が果たしてそのような厭世観を持つであろうか。まず間違いなく言えるのは、小学生の頃にいわゆる厭世観なるものを常にまとっていたかというものであるが、それはない。一過性でこのような感情を抱く時は恐らく多々あった。だが一貫したペシミスティックな性質はむしろ間抜けな性質のお陰でそれほど強くはなかった。だが一つ印象に残っているのは、小学生だか中学生初期だかに現代社会を聞いていて、なんだか面倒な時代に生まれたなと思った記憶だ。僕がぼんやりとそれを聴きながら思ったことを、捻くれた聡い友人の一人が(歴史好きの彼ではない)そう呟いて、僕も嬉々として同意したことをありありと覚えている(これは珍しく一人称視点の記憶なので確信がある)。

 少なくとも当時の自分が現代にネガティブな感情を抱いていたことは事実だろう。インターネットは楽しかったが、同時に辟易させるような現代問題も見せつけてきた。親父は近現代に関心があるせいで、僕は絶えず現実を意識せざるを得なかった。小学生の頃、太陽に地球が飲み込まれてしまうということを知りそれを想像して身の毛もよだつ恐怖を覚えた記憶がある。

 特に中学に入っていわゆる「思春期」に至ると、誰しも安っぽいペシミストになりがちだろう。僕もそれは例外ではなかった。中学後半にやっと思春期がきた僕はしょうもないペシミストに陥り、それが元々持っていた先ほどのようなネガティブな感情と結びついたと思われる。

 そうした自分が拠り所として求めたものの一つが、歴史だったのだろう。

 勿論自分のくだらない天邪鬼っぷりも考慮しなくてはいけない。恐らく皆が近現代に興味を持つから、本能的に忌避したのだろう。天邪鬼が極まっている僕はミーハーなものを避けてマイナーなものに行っていた。これも思春期の影響だろうか。天邪鬼は覚えている限り小学生からずっとそうなのだが。

 まとめると、僕は歴史好きの友人と、ゲームを大きな要因として歴史の道を歩みだした。そこから今につながる要因は、当時の自分の現実逃避と天邪鬼である。この両者が歴史を学ぶインセンティブになり、最終的に西洋中近世史にたどり着いたのだろう。

 勿論本文で考察してない部分は多数ある。記憶を漁る限り、別の要因も考えられる。だがそれはここでは今後一切考察することはないだろう。こんなものを公開しておいてなんだが、自分の過去をつまびらかにする行為は好きじゃないからだ。従って本文は、ある一定の結果の為に、限定した過去をつまみ出して作るナラティブであると結論付けられる。

想起した事

 最近は色々と忙しく、しかも暑過ぎるのでものを考えることもあまりできていない。

 本当に暑過ぎる。今年は天変地異が多く、いつのまにか夏に入っていたという感じだ。信じられないほどの快晴と色彩の鮮やかさは、今までの不安定さを隠すが如く夏が来たぞと主張しているが、むしろその眩しさが色濃い影を作り出しているようで例年通りの気持ちの高揚は余りない。

 夏といえば、今年はあまりセミを聞かない。各地で既にセミは鳴いているのだろうが、自分の周りで殆ど聞かない。所用で駒場に行った時にようやっと初めて聞いた位である。(これは書いている時の話であり、流石に投稿時には各地で鳴いている)。セミもやはり昨今の奇怪な状況に混乱しているのだろうか。

 台風、地震、豪雨に極端な気温変化…こうした環境的状況に加え社会的な部分も悪い話ばかり流れている。政治、社会的な事や身近な人の物語、人の死と言えば、最近起きたさまざまな出来事が浮かぶと思う。もう何年も、何十年も、我が国ではどことなく暗澹とした空気が流れているようだ。

 SNSではこうした状況から、終末が来るといったような冗談が生まれている。これを見て思い出したのが、セム 語系宗教の終末思想と中近世の人々のことだ。

 終末思想とはなんぞやと言えば、かなり端的に言えばキリスト教最後の審判のような、この世の終わりが来て全てが滅ぶという文字通りの意味だ。現代人(特に日本人)はこういう考えをあくまで冗談的に言うことが出来るのだが、昔の西洋人はこれを本気で信じていた(より正確にはそういう人々が一定数いた)。私は最初、これがどうしてか理解できなかった。どういう認識をしたら本気にすることができるのかと、本気で信じてはいなかったのではないかと(実際そういう人は一定数いただろう)、現代人の視点からものを見続けていた。

 例としてあげるなら、近代の象徴として祭られることになった中世人の代表のルターは、なんとも対照的なことにこの神秘的な終末思想を持っていた。恥を忍んでいうと、私は最初この事実に驚愕した。彼は「キリスト教」の牧師で信心深いとは頭で理解してはいたが、それまでの学習では彼の原動力は近代的な精神だと思わせるようだったし、よしんば彼が保守的な存在でもせいぜい神に対する敬服程度で、まさか終末を本気で予感する程の信心深さを持っているとは思わなかったのだ。彼の改革は、迫り来る終末の為の熱狂的な活動にしてはあまりに消極的で現実的だった。   しかしルターも、ネーデルラント、フリースラント各地の一般市民も、富裕層も、カルヴァンも、ツヴィングリも、諸侯さえも程度の差はあれど皆終末的予想が心の中にあった。ピューリタン革命に終末思想が関わっていることも有名であろう。絶えず人々は終末思想を持ち続けていた。

 これは一体何故なのだろうか。所見では、端的に当時のヨーロッパ(就中ドイツが)全土にどこか暗澹とした空気が流れていたからだと思う。時のヨーロッパは決して良い時代とは言えなかった。日常的に繰り広げられる酷い光景を見る市民や牧師も大勢いたはずだ。ペストの脅威がまだ記憶に残っており、異端に対する不当な裁判、戦争に次ぐ戦争、傭兵やら崩れ者の跋扈と簒奪、飢饉、寒冷期…贖宥状を買う人が少なからず居たことは、こうした環境要因もあっただろう。当時のヨーロッパは概して、暗い時代だった。ブルクハルトという歴史家が19世紀以降ヨーロッパを包む奇妙なオプティミズムに警句を鳴らしているように、ヨーロッパの空気が明るかったことなどむしろ珍しいくらいだった。

 過去のヨーロッパ人達が信心深かったのは、単に昔の人だから、合理性があまりなかったから、迷信深かったから、と一線を引いて割り切った理解をすることはできるが、考えてみれば科学的手法を思考様式に取り入れた現代人の、しかも無宗教性を強調している日本人がこうした空気からインスピレーションを受けて終末を連想して、冗談めいて発露し、しかもそれが多くの人に受け入れられる状況と何ら変わらない。この冗談を笑いながら心のどこかでほんの少しでも一瞬でも想像して「もしかしたら」と思った人は絶対に多いはずだ。ジェームズフリン教授は、人は世代を経るごとにIQが上がっていると言っていた。その事は恐らく事実だと思う。しかしそれは過去との断絶を表しているわけじゃなく、むしろ過去との連続性を表していると捉えられる。

 今日の状況は、そうした思案を想起させる。ただそれだけである。僕もまた信心深く子供ながらに終末が来るのではと思いつつ、競馬やテストや労働にうちこんでいる。

 

 

 

どうしても三日坊主阻止をしたい

 なんとか更新はしたい。でも特に書く内容も思いつかない。というわけでめちゃくちゃ短いけどとりあえずなんか更新することにした。ちなみに一行日記は面倒になってもう一ヶ月くらいつけてない。

 最近かなしい😢と感じることは、古今東西の名著やらを読んでいたりする人が、その人個人になると途端にダメダメだと思えてしまうような時です。私の方がダメだし学もないんだからそれは傲慢だと思い込むことで無理やり納得しています。

 結構ショックですね。私はRPG脳なので、スキル本みたいに読めば読むだけ強くなると思っていました。名著を読んで、感慨して、深く理解して、自分に組み込む、そのプロセスが当たり前のように重ねられて…まぁたとえ名著でなくても、何かしら自分に与えてくれるものはあるはずだと思ってました。読んだ分だけ教養が深くなると信じて疑いませんでした。

 ところがそうでないようにみえるパターンを確認するようになり、かなしいです。じゃあ一体自分は今まで何を信じてきたのか、自分の理想はなんだったのか、等々をもう2年くらい自問してる気がします。信仰への疑念が大学入ってからずーっとしてます。(いやまぁ、答えは出てるんですが、私のように本を読まない人が出すには傲慢すぎる結果だったのでお蔵入りです)

辛い〜〜〜これ辛いですね〜〜。うーーん。

 まぁでも!必ず問題発見、思考、パラダイム発見、拡散のプロセスが自浄作用として働いてこういう問題も解決できると信じています!これ以上は僕には論じる資格はありません!!以上!パッと思いついたことでした!三日坊主阻止!!

三日坊主阻止2

絶対に三日坊主を阻止する2018

 最近今更ながらユーモレスクにハマっている。ユーモレスクってクラシックのあれだ。ドヴォルザークの代表曲、第7曲。

 これ本当ちゃんとした趣味の人に申し訳ないんだけど、クラシック聴いてる理由って、一番無料で聴ける距離が近いとかいう信じられないほどくだらない理由なのです。パブリックドメイン、あれはいいものです。著作権大国アメリカ様々という感じです。

 当時なんか音楽聴きたいな〜〜と思いながらも、でもお金かけたくないな〜〜って考えてた高1?くらいの自分は、クラシックなら無料でダウンロードできる!!と革命的な事実を知りました。実際はその演奏者の、著作隣接権も加味されるので結局面倒なんですけどね。

 しかしまぁ、パブリックドメインのクラシックまとめてくれてるサイトや、電子音でクラシック名曲を作って無料でダウンロードさせてくれるサイトなどもありまして、これがなかなか充実しておりました。クラシック聴いて通ぶっている後ろでは、パブリックドメインやらで片っ端からぽちぽちダウンロードして無料で消費している訳であります。無料、しかも近い、これはありとあらゆる障害に何よりもまさる利点でした。

 だがまぁなんとも残念なことに、自分には毛ほども文化的感受性がありませんでした。そもそも当時クラシックなんて毛ほども興味なかったです。しかし、タダなんだから精神でとにかく片っぱしから聞き、無理矢理好きになっていきました。とりわけ僕が好きなのは、ピアノでした。管弦楽も悪くはないのですが、ピアノの音が綺麗で均整がとれていて、ピアノソナタとかばっかり聴いていました。なんだかよくわからないピアノソナタの〇〇番(未だに曲名を覚えられません)、〇短調、op64…などと。特に、激しい曲調だったり、一定のテンポが整っている曲が良かったです。例を挙げると僕がめちゃくちゃハマったモーツァルトピアノソナタ、8番、イ短調の特に一楽章です。多分ですが、僕は短調が大好きなのでしょう。

 これ見て少し嗜んでる人ならわかると思うんですが、僕はクラシック的知識が絶望的にありません。上述した即物的な理由で聴き始めたので、そらちゃんとした趣味にならんわなという感じです。典型的な中身の伴わない中学生時代によくいる通ぶるためにクラシック聴くやつになってしまった。

 そんな中で最近分かったことは、僕がクラシックをBGM的に聴いているということです。すっごい気に入ったクラシックを聴くとき、僕は必ずバックグラウンドを想定します。流れる曲がぴったりな情景を想像します。これ普通なんでしょうかね?小フーガハゲ短調を聴くとこのハゲーーー!!を想像するのと同じ感じで。

 でも情景ったって、例えばベートーヴェンが小銭を落として怒り狂っている姿や、恋破れて感情的に楽譜を書いているシーンを想像するわけじゃありません。さっきのモーツァルトのピアノなら、僕が想像するのは散歩です。大きな道を歩く散歩です。要するに、曲それ自体を対象とした想像ではなく、むしろ曲がそれを引き立てるような情景を想像してウハーってなるのです。偶然シンクロニシティ的にこれを書いている途中に、バッハやモーツァルトの話をゼミでしましたが、彼らの曲に耳を傾けていた大衆は、このような聴き方をしなかったと思います。曲自体が引き立て役に甘んじ、なお且つ情景を含めた全く別の新しい空想の世界を作り出して、曲が構成しつつ曲が主体でない世界が迫ってきてあーーもう尊い!!となる。あんまりよく考えてないから雑な表現だが、要するに僕はクラシック聴く時にこういう風に聴いているということを言っているだけです。以上!

 

うんぬ

 両親と会話していると本当に思うのだが、情報の更新は大事だと思う。どうしてこんなにも情報にも時間が流れているという事を重要視しないのか分からない。父は20年前に見聞きした情報をアレコレと持ち出してくる。母も同様で、27年前、その人にとっての[当時]の話を持ち出して就職の話をしてくる。それがあっているか間違っているかはさておいて、20年って。

 20年っていかんでしょ。歴史とかやってる人は、なんだたった20年かと思うかもしれんが、20年は社会環境を劇的に変えるには十分すぎる時間だと思う。

 僕はよく、20年の重要性を表す際、ww1からww2までが20年位と言っている。より正確に言うなら、ヴァイマール条約締結の1919年からww2の啖呵が切られた1939年までが20年間である。この間はあまりに劇的な事件のシリーズが起こっている。当たり前だが、ww1が終わってはいそれじゃ戦争やめよ!からのよしまた戦争やるか!って感じで人々が戦争始めたわけがなく、この20年間が、戦争を起こさせるまでに世の中を流動させたことは疑いようのない事実である。マクロの視点で言えばたった20年かもしれないが、そこに生きている人間ミクロの視点で見れば、20年は軽視されていい数字ではない。ここでは20年を象徴的意味で使っているが、別に19年だったらいいとか15年だったらいいとか言ってるわけじゃない。時間の重要性は加味されるべきだといっているわけだ。

 

 これに関連して、今自分が生きている[現代]といわゆる[戦前]と呼ばれる古い時代、一体どこで変わったのだろうと考えていた時、若い時は文字通り戦前と戦後ですぐに変わったのだと思っていた。だから1950年代は自分にとって戦前ではなく戦後、つまり現代だった。感覚的に話しているから難しいが、要するに50年代の日本は、もうまったく戦前の古めかしい感じはない、新しい時代の一部なのだと思っていたということだ。だが最近色々知って、改めて考えると、今の僕たちが同質性を感じる社会(ビル群とか、電車に乗って出勤サラリーマン、インターネット、女子高生、核家族等々)は80年代以降に完全に形成されはじめたということが分かった(実際は高度経済成長期から[戦後]が形成されていったのだが)。グーグルで各年代毎に適当に画像検索をかけると、感覚的には昭和からインターネットが普及して平成へ移行した80年代頃からが自分の感じる社会との同質性を見出せる。それ以前は全部[昭和]だ。平成生まれの自分にとっては、現在と殆ど別なものである[昔]でしかない。

 とするとたった2、30年で、このとんでもない現代社会に至ったということになる。20、30年である。たった[20、30]年だ。およそ2、30年前には、[懐かしい]昭和の香りがそこら中にしていたのだ。きっと自分がそこに放り込まれたら、どうしようもない懐かしさを感じるが、ただそれだけである。中世ファンタジー(ほとんどは中世要素がないオリジナルの世界だが)に抱く憧憬と同じで、そこには懐かしさしかない。オトナ帝国のしんのすけは、昭和の香りを残し、今もなお昔に好意を持つドラえもんと対照的に、懐かしきものへの他者としてケツを出しとる。まさにこのしんのすけが、昭和に放り込まれた自分だと思う。

 

 話が大分脱線してしまった。まぁ要するに、たった数十年は、されど数十年ということが言いたい。数十年は環境をほとんど別のものにしてしまうには十分な時間だということを忘れて情報の更新を怠ってはいけないとおもったわけですまる

  でもまぁ気持ちはわからんでもない。IT革命以後と以前との違いが著しいことは客観的事実だと思うが、IT革命以後の世界は時間の爆発的加速を見せている。よりマクロな視点からは戦後から爆発的加速を始めているようにも思えるが、ここでいう時間の加速は情報に関してである。昔に比べて、情報と時間が密接に結びつき、凄まじい勢いで加速しているのだろうと思う。例えば、ネット上で10年前のサイトというと、古典として見られる。ウィキペディアの信用度はかなり高い!という海外の記事を引用していた記事に対する批判の一つで、元記事が12年前であるという指摘があった。しかし人によってはたった12年前の記事である。50代の人からしたら、もしかしたらたった12年前か、というかもしれない。知らないが。

 情報社会になってから、情報の寿命が信じられないほど加速した。それはそうだと思う。昔のように、自分の古臭い情報が役に立つ時代は終わってしまった。加速によってずっと遠くに置いていかれ、完全に役に立たないわけではないにせよ、もう殆ど時間の流れから独立してしまった古いだけのものとして捉えられるようになっている。現代人に属する自分でさえ、少し油断するとその加速から振り落とされがちになる。

そういう点では、情報更新が遅れるのも仕方ないのかもしれない。かなしい。

 

三日坊主阻止

 最近、副流煙吸うくらいなら主流煙吸ったるという勢いでタバコを吸ってみたが、多分永遠に分かり合えそうもない。酒はわかる。美味しいやつもあるから。でもタバコはマジで分からぬ。美味しくないし、煙を吸っても何も感じない。あのメンソール位だ。少し良かったのは。色々体験してみようとして、酒、タバコ、競馬その他諸々を体験してみたが、よく考えたらそのどれも自分に対して決定的な作用をもたらさなかった気がする。タバコに対しても例外なく無関心だと思う。

 でも正直カッコいい。吸い出した人間は大体、タバコなんて底辺、という現実的な評価をするのだが、僕は思考が中学で止まっているのでタバコちょーカッケーじゃんと言ってしまった。シュガーで真似事するの、誰しもがやったことあると思う。

 まぁでも、客観的に見てすまし顔でタバコ吸ってる自分想像したら、似合わなすぎてあれだなと思ったのでやっぱりタバコはダメ。これからの時代はキセルキセル

読むとは

 読むってなんだと言われ、パッと答えられるかどうかは微妙なところだ。基本的には一つの本を最初から最後まで見ることを表すのだと思う。最近はしばしば読むということを考える。

 齋藤孝氏によれば、読む行為には速読と精読の二つがあるという。別にこれは氏の独自見解ではなく、学術世界の一般的な理解だと思う。

 速読はとにかくざっと読み通すことだ。うさぎの如く、つらつらと流し読みをして読み終わる。感覚的にはブリーチを読むのと同じような感じで、とにかく巧遅拙速に如かずという印象がある。

 精読は文字通り、精密に読むことだ。つまり、一文一文をしっかり理解して読み進める亀の歩みと同じだ。これは理解こそ深まるが、とにかく遅い。一冊読む時間で他のテキトーな本三冊くらい読む方が知的に有意義であると言われると、まぁそれはそうってなると思う。熟読ともいうが、両者は違うようにも思える。熟読は理解の為に、言外の意味をも汲もうとすることだと個人的に思っている。

 まぁ熟読と精読の違いとかはどうでもいいんだが、先述した私たちの基本的な読書の理解はこの後者と同化しているように思う。つまり、私たちは基本的に読書の「始めから最後までを見る」ということを精読と殆ど同一視しているということだ。考えてみると当たり前だ。一般に多くの人が読むのは、小説の類だろう。

小説は当然、パラ読みでは楽しめない。途中から読んでも分からない。物語を深くしれば知るほど、感情移入が深まり、物語を味わえる。必然的に精読せざるを得ないのだ。

 これを踏まえてか、速読を強調する教え方がよくみられる。必ずしも読むということは精読だけでなく、速読して知識を大まかに理解することも必要であると学術世界に入って来た大学生に説明するのだ。というのも、専門性は、多くの教養を得ることでやっと理解できるようになる難しいことだからだ。

 にも関わらず、今日現実空間においてはやはり精読が強調されているように見える。「読んだ」とはそのディティールを語る事であり、初めから読み始め、一字一句精読し、最後のページの最後の行までしっかりと読み切ったという事である。われわれがそれ読んだの?と聞くときは、そういう意味を聞いている。

 やはり読むということは精読するということなのだろうか。

 話は少し変わるが、近世ヨーロッパまで、読むという事が私的空間で行われることは少なかった。市民において読書は家族にその情報を伝える為にやることだった。同様に、文字書きのできない人に口伝する為に、政府から配られた文書を読むという行為が行われていた。映画館での映画から、DVDでみる映画への変遷と似た事が、ヨーロッパでは起こっていた。

 これを踏まえて先ほどの文章を見てみると、相関性が見受けられる。今日に生きる私たちは、読書はパブリックなものというより、プライベートなものになった。誰かに伝える事が主目的ではなくなったのだ。だからこそ我々は自分の為に本を読み、自分の為に解釈し楽しむ。勿論誰かに伝える目的で本を読む場合はそうなるが、基本的に本を読む時、その過程は他の誰かに見られる可能性はほとんどないのだ。にもかかわらず、今日精読が読書とされる。読書は必ずしも読み聞かせをする必要は無くなったので、誰かが果たして読んでいるのかは曖昧になる。本を持って、パラ読みして、有名な句だけを唱えれば「よんだ」ということになる時もあるのだ。精読が「読んだ」にされるのに、その実、精読を求めることはほとんどない。この奇妙な空間が私たちの形作っているコミニュケーションの空間の一部である。

 この点に関して、フランス文学研究者のピエール・バイヤールがかなり挑戦的な本を出している。そのタイトルは衝撃的で、「読んでない本を堂々と語る方法」というものだ。彼によると、本を読むということは必ずしも精読ではなく、ディティールは実に瑣末である。私たちが読んで頭の中にしまった本と、実際のテクストは全く異なっていると。また、先のコミニュケーション空間で読書を確認する方法が曖昧なことを強調して、読んだかどうかはそこまで重要でなく、むしろ精読、そして読んだことにこだわって自分の創造性を本に縛られることに対しての警告を、極めてアイロニカルに主張している。

 このブログの内容にも食い込んでくる実にメタちっく且つ、本は読まなくてもいいものだと誤解を招く際どい主張だが、一理、いや百理あると思う。

 結局、われわれは何読んだかってのをよーわかんないのだ。見てないアニメを見たっていう時に上手いこと断片的な知識でごまかしたりしたこと、中高生の時に体験したことはないだろうか。最新巻を読んでない漫画本についての話で、序盤の話だけで乗り切ったことはないだろうか。別に原本を読んでないけど、ネットに上がっている情報だけで会話をしたこととかあるんじゃないだろうか。現実空間における「読む」とは多分ほとんどこれだと思う。

 で、それらを踏まえて考えると、「読む」ってそんなアバウトな感じならあんまり重要視しなくてよくね?って考えに至る。こんな風に雑に誤魔化せることに対して執着するのがまずナンセンスではと思い至る。所見だが、読むとはそういう形式的なことではない。朱子学チックな形式主義と読書は全く合わない。アレキサンドリア図書館で、学者が熱心に本を読んでいたのは、「読んだ」という形式が欲しかったわけでなく、純粋に知見を広めたかったからだ。この形が貴族の教養の常識意識から市民の読み聞かせへと移っていく過程で、形式化したように思える。

 

 何が言いたいかっていうとバイヤールは凄いってこと。さすがベストセラーになっただけはある。適当に読んでみた本だが、読んで良かったと本心から思える良い本だった。今回の思考結果は強くバイヤールに影響されたものになった。

 読むってのはつまり、その本が言いたいことを理解して、且つそれを自分の脳内に組み込む(自分の見解を形作るための支えにする)ことであり、そこにおける形式とかは別にどうでもいいことだと思う。モンテーニュのエセーは、文字通り随筆調で、どこから読んでも楽しむことができるとよく言われている。エセーはまさに読書の本質をよく表している。

 この意味で、「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人物と対話することと同じである」のだ。無機質な文字と睨めっこをするより、文字の中にある生きた流れとの対話をした方が有意義なのではと思ったところで結論。今回もなんとも陳腐な結果になったが、一応ある程度の結論は出たのでこれで満足。今回は以上。